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Mの法則の中で掴みづらい要素の代表格とも呼べる「量」というものについて解説してみたいと思います。

 

これは琢也先生がラジオで話していた通りで「本質を隠すもの」という見解にほぼ同意です。寧ろこれ以外の要素を含ませるとその時点で量については迷子になると思っています。

 

先生がラジオで話していたキムタクの例はとても分かりやすいです。

仮に本質が下劣な奴だったとしても所謂キムタクであるという時点でオーラを持っています。このオーラが量で、量とは纏うものです。

馬も人間も同じですが量を纏っているとその馬・人の本質は見えて来ません。

 

麻雀で例えると、自分は中学時代から仲間内でちょこちょこ打っていたレベルで特別強いという事はないですが、麻雀を覚えて初めて実戦でやってみる♡という女子大生相手には本質は出しません。麻雀歴約15年という単なる歴と場慣れしているという2つの要素だけで量を纏う事が出来ます。

仮にその時負けたとしてもあくまで量で隠した範疇での出来事です。

逆に圧倒的に格が上の相手と打つ事になった場合は量は纏えず裸一貫でぶつかる事になります。そこで自分のメンタルや技術、経験等様々な本質を問われます。

 

同じように馬の本質が見えるのも苦しい経験をした時です。その馬にとってレースレベルが高かったり、相手が強かったりするとその時点で量は限りなく少なくなり本質での戦いになります。

最近だと紫苑Sのファインルージュは量の範疇。一方ローズSのアールドヴィーヴルは量なしの本質です。

 

僕が馬の本質を判断するのに重視するのは勝ったレースではなく負けたレースでのパフォーマンスです。勝ったレースには量によるパフォーマンスも多く含まれているのに対して、負けたレースではその度合いが低くなるからです。

 

以上が量についての見解になります。

M3タイプ等で馬の本質を見極めようとする人にとっては避けては通れない要素だと思います。

琢也先生の見解を踏まえた上で僕が追随して補強?する事によって多くのMラーにとってフワフワしていたこの量という要素が少しでも掴めるものになれば幸いです。